ラカンショックについて
30代の頃、先輩の先生と一緒にジャック・ラカンの著作を翻訳する機会がありました。ラカンの文章は非常に難解で、翻訳作業は困難を極めました。しかし同時に、ラカンの理論に触れたことで大きなショックを受けたことを、今でもはっきりと覚えています。
それまで私は、精神分析によって患者さんの問題を「治療できる」と考えていました。ところが、ラカンは次のように述べているのです。
「人の心の問題は、ただ治すべきものではない。その人自身がどうやって自分の苦しみを作り上げたのかを理解することが重要だ。」
つまり、ラカンにとっては「治療」以前に、患者さん自身が自らの苦しみの構造を理解することが何よりも大切だというのです。また、ラカンの理論では「言葉」が非常に大きな役割を果たします。彼は「私たちの心は、他人の言葉や文化によって作られている」と考えました。私はこの考えを初めて知ったとき、
「えっ、人間の心は自分だけでできているものじゃないの?
治すって何だろう? 問題をなくすことだけが治療じゃないの?」
という大きな疑問がわき起こったのです。
さらに、ラカンの「鏡像段階」という理論にも衝撃を受けました。これは、赤ちゃんが鏡に映った自分の姿を見て「自分」というものを初めて認識する段階を指し、「自分」という感覚は他者(外部)との関係から生まれてくるという考え方です。ここでも「自分」や「自己」といった概念が、実は他人とのつながりや関係性のなかで形づくられるのだと、ラカンは教えてくれます。
こうしたラカンの主張を学んだ私は、それまで抱いていた治療目標や方法論が、自分の中で根本的に覆されるような思いを抱きました。それまで「正解」だと思っていた治療理論が実はそうではないかもしれないと気づいた瞬間、まさに「ラカンショック」を受けたのです。
ラカンは、人の心を「謎だらけの迷宮」としてとらえていました。その迷宮に踏み入り、探求する方法は、患者さんが自分の言葉で語り、その言葉のなかに隠れている真の意味を見つけ出すこと。私はこの考え方に触れて以来、
「精神科医は患者さんに寄り添い、患者さんが自ら治っていくプロセスを見守り、
その治癒へ向かう姿勢に立ち会う“傍観者”である。」
と思うようになりました。ラカンの理論との出会いは、私の治療観を大きく変え、患者さんに対するアプローチを再考するきっかけにもなりました。